SUSAN 's Biography&Profole

バイオグラフィー

スーザン バイオグラフィー
ポール・レイマー 記
訳: 山岸サチ

スーザンは日本を中心に活躍する歌手、エンターテイナーである。
最初はミュージカルとテレビに出演、沢山のコマーシャルに出ていたが、現在はテクノポップ音楽で地位を再確立した。スーザンは最近日本の若いファッションデザイナーと協力して日本のゴシック ロリータ スタイルを洗練された形で広げようと活動している。
福岡に住み定期的に上京し渋谷にセカンドハウスを持っている。

スーザンは野崎スーザンとして日本で生まれ、母親は日本人で父親はフランスに祖先を持つアメリカ人の軍人である。写真で見るとヨーロッパ系に見えるが、会った印象ではまったく日本人である。動作とか身振り、声のトーンのからくるのだろう。

小さい頃はステージに立って何かやることが好きで、14才で芸能界にデビューした。
日本の最大のアーティストマネジメント会社、渡辺プロダクションにスカウトされキングレコードと契約した。16歳の時、「女の時間」でレコードデビューした。この曲はシルビーバルタンも日本語で唄って競作となった。
スーザンは「隣の女の子」と言ったイメージで宣伝は開始された。そして1970年代にヤマハポピュラー音楽祭で新人賞を受賞した。

その後スーザンはミュージカル出演や歌手に専念し、最初の大きな役は日生劇場での 「スイートチャリティ」だった。これをきっかけにテレビ出演が多くなった。TBS「笑って笑って60分」では、エンタテイナー谷啓とミュージシャン近田春夫と共演した。またテレビドラマにも沢山出演した。スージー白鳥の名前でコメディアンの小松正夫とデュエットした曲がワーナージャパンから発売された。

1970年から1980年代に数々のTVコマーシャルに出演している。
資生堂「パーキージーン」(音楽は坂本龍一と共演)、サントリービール「生樽」、スズキ自動車、森永「チョコフレーク」、マクドナルド、サンヨー、JR東海、ビックカメラ等。 Sonyのカセットテープ「ライブカプセル」では歌と映像に起用された。
資生堂「シフォネット」ではポスターと雑誌広告写真に登場、注目を集めた。
この間約250のコマーシャルに歌、映像、写真で出演している。

1980年イエローマジックオーケストラの高橋幸宏はTVスタジオでスーザンに出会って、彼女のエネルギッシュな個性に魅せられた。これがきっかけでスーザンはポップシンガーとしてのキャリアを再開することになった。大村憲司との共同プロデュースで幸宏とスーザンはコラボレーションアルバム「Do You Believe in Mazic ?」をエピック・ソニーから発売した。

このアルバムは、音楽がいかにスーザンとミュージシャンに高揚感と可能性をあたえるかを示している。実験的でとても興味をそそられ、時に挑発的である。そしてすべての曲が心に残り、何度聞いても良さが増す。踊っても良いアルバムだ。スーザンの歌い方は優れたミュージシャン精神にあふれ、表現方法には幅がある。一方で演じることが好きで、ある意味で将来はビョークや戸川純に挑戦するかのようだ。

このアルバムはYMOの3人(細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏)と大村憲司、久保田真琴 (サンディ&サンセッツ)、立花ハジメ(ザ プラスティックス)をフィーチャーしている。
EXの梅林茂も参加し彼はスーザンのライブには欠かせない存在となった。
スーザンも梅林茂のソロレコーティングに参加して彼に応えている。

1981年に、スーザンのヨーロパ進出が決められた。一風堂、サンディ&サンセッツ、YMOと日本のポップミュージックを西洋に紹介するキャンペーンに参加した。キャンペーンは 「太陽の昇る国からの音楽」としてイギリス、スペイン、フランス、ドイツ、オランダのメディアに多数取り上げられ大成功した。このキャンペーングループはコンピレーションアルバム「Band’s Eye View」を制作しイギリスのサウンドマガジン社から発売された。

スーザンの「24000回のKiss」はNMEの “Mad Mix” カセットに含まれてイタリアで、シングルとして発売された。フランスでは “Do You Believe In Mazic ? ”が発売されイギリスで“Dream Of You”が発売された。

同じ年スーザンはセカンドアルバム “The Girl Can’t Help It” を YMOメンバーとレコーディングした。ゲストミュージシャンに土屋昌巳(一風堂)、梅林茂、サンディが加わった。

このセカンドアルバムは、いろんなスタイルをミックスしている。”Nuit De St. Germain”では最新のモータウンサウンドからニューウエーブロックまで洗練されたエレクトロニクスのパリジャンの音楽である。アルバムの最後の曲“My Love”はスーザンと高橋幸宏のヴォーカルの掛け合いが画期的なテクノポップである。この曲はあらゆる要素をそなえている。
正確で生き生きとしたドラムとパーカッションは日本のTin-Drumの音と調和し、デリケートにバックボーンを支えノリの良いギターを聞かせている。
日本語と英語で歌っているが、多くの日本のポップミュージックよりも広くファンに理解され、
わかりやすい斬新な曲である。

1982年初頭、スーザンのイギリス進出にむけ大きなイベントが計画された。
彼女の母親はイギリスでのテレビ出演用にきれいな着物を作ってくれた。
“I Only Go Out For At Night “ のシングルバージョンが発売された。
しかし運悪くこのときイギリスとアルゼンチンの間でフォークランド紛争が起こり、イギリス
行きはしばらくの間見合わせるようにと言われ中止になってしまった。スーザンは大変が
っかりした。

1980年代 スーザンはシーナ&ロケッツのメンバーと結婚し娘が誕生した。彼女は家族の世話をする事に専念し数年間はステージのスポットライトから遠ざかっていた。ロケッツは大変忙しくツアーが多かったのでスーザンが娘を育てて来た。
東京でおこなわれるテクノイベントに時々ゲスト出演していたが、2004年ミュージカル「マンハッタンプリンセス」で主役の座を射止めるまではライブ活動はしていなかった。偶然にもこの頃ソニーが”The Complete Suzan” の発売を決めた。

”The Complete Suzan”は、長年のファンの要望に応えてリリースされた。1990年代、ファンの間ではウエブ上でどの曲をコレクションに入れるべきか、アルバムだけでなく、シングルA面B面でCD化されていない曲も入れたほうが良いなど活発に意見が交わされた。

スーザンはこのコレクション”The Complete Suzan”を娘に聞かせる事が出来て最高に幸せと感じている。
このアルバムを、インターネットやマスコミを使ってできる限りのプロモーションをしようと思ったまた、アルバムリリースによってライブのチャンスが巡って来た。
東京で行ったあるコンサートには多くのファンと共に高橋幸宏、土屋昌巳、写真家の鋤田正義も参加してくれて大成功だった。
インターネットで他のライブのことも見ることが出来る。

2005年の夏以降、スーザンはライブを行い、ファッション面の活動を広げ、齋藤久師と一緒に旧譜を新しい趣向でアレンジしている。

*ポール・レイマー氏はイギリス在住の音楽レポーターで以前より日本の音楽に大変関心を持っている。
オンラインで日本のポップミュージックについて書いており、イギリスのNME(ニュー ミュージカル エキルプレス)誌や「レコードコレク ター」誌に原稿を書いている。
彼はバンドJAPANのウエブサイト"
Nightporter"を長年運営している。

プロフィール

渡辺プロダクションにスカウトされシルビーバルタンと共作デビュー。

ポップスシンガー(スーザン ノザキ)として14歳より活動を開始、TVドラマ、ミュージカル、DJ、モデル等幅広い分野に才能を発揮。

YMOとの運命的な出会いを転機に高橋幸宏プロデュースアルバム等ヨーロッパ9カ国及び日本でリリース。

RAINBOW VOICEを操るシンガーとして現在までに約250本の作品に参加。

2004年よりミュージカル俳優としても活躍中。

2005年2月「コンプリート・スーザン」発売

2006年より「齋藤久師」とのユニットでライブ活動中。

ミュージカルデビュー

スイートチャリティー(日生劇場) 

ドラマ

「悪魔のようなあいつ」(久世光彦監督)
「ばあちゃんの星」 等 TBS、テレビ朝日、 レギュラー出演。

モデル

資生堂(シフォネット)
MIHO MATSUDA

新人賞

ヤマハ合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル

コーラス

谷啓氏、近田春夫氏らとバンド・ザ・スーパーマーケットに参加。
TBS「笑って笑って60分」にレギュラー出演。

おまけ

スージー白鳥の名前で小松政夫とシングル「しらけ鳥音頭」

コマーシャル CF

ソニーカセットテープ(ライブカプセル)主演。

CM代表作

資生堂パーキージーン、すずきジェミニ、サントリー生樽、森永チョコフレーク、パックンチョ、マクドナルド、サンヨーサマルカンド、JR東海、ビックカメラ、他多数。

CD or Ticket

「コンプリート・スーザン」

こちらより絶賛発売中。

2枚のアルバム+シングルをまとめた2枚組アルバム。
高橋幸宏プロデュース(DISC2の13,14を除く)、演奏はYMO3人のほか大村憲司、立花ハジメ、加藤和彦など。

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